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 死に装束を身にまとったかつて暖かかった人たちが、頭上でくるくる踊りだす。その彼らの死に様が安らかだったのか、今の表情からは見て取ることはできない。わたしは、彼らの最後の呼吸音を知らない。白い布きれの下の、固まった表情は、わたしに何の感動も呼び起こすことはない。

 さして仲良くもなかった彼の級友達が、泣いているのを目にして、そのわざとらしさに呆れてしまう。こんな受験目前になんで通夜なんて。さっき、駅前でそう話していたでしょう?

 彼の母親から渡されたアルバム。開くこともできず、机の引き出しの中で、彼は失った未来とともに埋もれている。

 二年の時から同じクラブで絵を描いたり写真を撮ったり、夜な夜なだらだらとおしゃべりをした。煙草をふかしてみたり、酒を飲む他の男友達と違い、彼は、義人は煙草や酒には興味を示すことはなかった。

 その行為は、わたしたちメンバーから彼を孤立させるのには十分な要素をはらんでいたにも関わらず、彼はそうならなかった。
 その毅然とした態度は氷鏡のようで、それを割る術を知る者はいない。

 それ以外の馬鹿は、みんなと一致団結していた。深夜に忍び込むプール。早朝の牛乳やヤクルト盗難。何故か夢中になっていたミスドの灰皿の万引き。そんな愚かな遊びを彼は一番に楽しんでるように見えた。

 そんな彼に呼び出されたのは、蝉の鳴き声がけたたましく降り注ぎ、生き急ぐ彼らの叫びが眩暈を呼ぶそんな夏休み最後の日曜日だった。

「亜希に告られた…」
「えっ?」

 亜希は、いつも遊んでいるメンバーの一人だ。でもこの前、紀子が義人を好きって言ったとき、応援するって言ってなかったっけ!?
 恐ろしきかな、女のタテマエ…。

「悪く思われない程度に断る方法考えてくんない?」
「あるか、ぼけっ!」
「………」
「何で? いいじゃん、亜希可愛いし…」
「嘘こけ! お前、亜希嫌いでしょ?」
「………」

「俺ね、はっきり言っていけてるでしょ?」
「………まあ、ね。痩せてから、イイ感じになったよね」
「ちょっと見てくれ変わると世間の目も変わるよなあ」

 はっきり言おう。ちょっと、ではない。義人ははっきりいってオデブだった。なまじっか背があるから、その大きさは迫力ものだったのだ。

「あたしが義人を好きなのは亜希だってしっているのに、何で!?」
 亜希は紀子を見上げ、いつものように髪の毛をくるくるといじりながら平然とこう答えた。
「恋に先も後もないし、義人、あたしのこと好きって言うんだもの。だから寝たの!」

 唯一鮮明に覚えていることといえば、お通夜の際に、亜希が倒れたこと。彼女がすぐそばで倒れていく様を、わたしは、スロー再生された古い映画の一コマのように思っていた。彼女がどさっとわたしの足元にうずくまる。ここはどこなのか。灰色の薄靄が視界を遮断する。
 その彼女を賢司が抱きかかえている。紀子の表情に色はなく、涙の跡だけがきらきらと光っている。

「まあ、亜希なら簡単にやらしてくれそうだけど」
「ちょっと、義人、その言い草はないでしょ!」
「だって、やらはたは恥ずかしいじゃん?」
「やらはたって、うちらまだ17じゃん」
「もう18だ」
「………」
「んで、お前気付いてないと思うけど、ケンちゃん、亜希が好きなんだよね、多分…」
「え!?」
「………」
「………」
「お前ってほんと、他人に関して鈍感すぎっ」
「はい、その通りでございます」
 自分の鈍感さとおめでたさに呆れて言葉がでない。賢司はわたしのことを好きだと思っていたぐらいだ。男の言動も、また微妙である。

 十分と言える年月を送った祖父や祖母と一緒に、若くしてなくなった友人達がぐるぐる囲んであの子が欲しいと囁く。あの子じゃ判らんとわたしは答える。彼らの声が遠くから、近くから、こめかみに直接響き渡る。

 紀子の頬を伝う涙に見とれていると、それにつられたのだろうか。空も泣きはじめた。紀子の肩にそっと手を伸ばし、彼女の光る滴をぬぐっているのは、義人と同じクラスの加藤だ。推薦の決まった二人が付きあいだしたというのは、どうやら事実のようだった。

「亜希って、サイテー! あんたとはもう絶交だから!」
 紀子のヒステリックな声に、皆が振り返る。
「あたしも紀子みたいなカマトト、大嫌い」
 亜希も容赦ない言葉を紀子にぶつけた。

 どれだけ好きだ好きだと言っていても、人の心は移ろいやすい。そして容易く白と黒の線引きはできない。若気の至りと言えるほど生きてはいないけれど、自分でも理解できない言動をとることもある。どこかに必ず理由はあるはずなのに、その理由を知るにはあまりにも経験が足りない。

「ねえ、なんで、義人と寝たなんて嘘を紀子に言ったの?」
 わたしは静かに亜希に問いただした。
「紀子が嫌いだから。それになんで嘘だと思うのよ!?」
 亜希は強い口調でそう言った。
「…………」
「でもね、もっと嫌いなのは、あんた」
「えっ…?」
「未来、あんたが一番嫌いよ!」

「!!!」
 彼女の刃は、このわたしの鈍感極まりない毛が生えたような代物にも、十分な威力を発揮して突き刺さった。

「ねえ、お前はもうセックス経験済み?」
「はっ!?」
 義人のいきなりの問いに面食らい、返す言葉が出てこない。
 いくらわたしがさばけた性格とはいえ、男友達と下ネタではない、セックスの話を赤裸々にできるはずもない。

「ちょっ、ちょっと義人、何言い出すの?」
 頭の中で蝉が大合唱を始めた。変な汗も流れ出し、とても気まずい。気まずすぎる。
「いいじゃん、俺と未来、親友じゃん」
 
そんな一番嘘臭い言葉を選んでおきながら、彼は真面目な表情を崩さない。

 うつむいたまま、何も言えないわたしに、義人は冷たいお茶を差し出した。わたしはそれを受け取り、生ぬるい粘液で満たされ、不愉快さでいっぱいの喉を洗い流した。

 わたしは、深呼吸して、覚悟を決めて彼に尋ねた。
「どうしてそんなこと、わたしに聞くの? 義人わたしに興味ないでしょう?」
「そう?」
「そう…」
「そんなことない…。俺、お前が、未来が好きだ……。ずっと前から。だから、さ。させてくんない?」

 馬鹿は死ななきゃ治らない…。
 死ね。

 彼が逝ったのは、とても寒い冬の日だった。
 制服に黒のコート。手にはカイロを持って。
 どういう順番で、どういう手順で彼に別れを告げたか、その時の記憶がぽっかり抜け落ちている。

 ベタ焼きをチェックし終えた義人は、これとこれ良くない? とわたしに聞いてくる。いつの間に撮っていたのだろう。憂鬱な時期を過ごし、笑顔を作ることもなかったわたしたちみんなの、穏やかで楽しげな顔がそこに写っている。

 いつものように、髪の毛に手をやり、笑顔の亜希。
 義人のマフラーに顔をうずめたまま居眠りしている紀子。
 息抜き息抜きとエロ本を持ちながらにやついている賢司。
 持参のおやつにぱくついている小野田やさち。そして、沢山の後輩達。
 不機嫌そうな顔。ばか笑い。びっくりするほど、綺麗に微笑むわたしがそこにいる。

「亜希にあんたが一番嫌いって言われた…」
 二人しかいない部室に、やけに大きく声が響いた。
「鈍感なわたしでも、かなり堪えた」
「んで?」
「誰にも興味がないくせに、誰にでもいい顔するわたしが嫌いって……」
「……」
「…………」
「亜希がお前のことを嫌いっていうのは、ね」
「……んっ?」
「妬いてるだけ。俺が未来のこと好きだから、さ」

 地元集中という制度で、御近所さんたちはみな同じ高校に進んだ。わたしも、義人も。
 丸々していたその体格が、どんどん痩せはじめたとき、羨ましがる周りを見つめながら、彼はどう思ったのだろうか。

 パネルに張られた写真。重ねられた絵の具。刻まれた文字。セピア色のコラージュ。笑顔があって、瞳の中に見えない未来があって。友達がいて、しかめっ面があって、存在することへの不安があって。
 落ちていく砂のあまりの早さにおびえながら、彼が望んだものは、本当に望んだものは?

 お前が欲しい お前じゃ判らん
 お前が欲しい お前じゃ判らん
 お前が欲しい お前じゃ判らん

 未来が欲しい 理由はなに
 未来が欲しい どこがいいの
 未来が欲しい 未来が欲しい 未来が欲しい 人並みの未来が欲しい

 彼がわたしの唇をふさいだとき、わたしは、彼を突き飛ばした。
 それは不快さからではなく、不意にされた行為に対する当たり前のものだった。そして、それには、嫌悪感の欠片もなく、どちらかといえば、いや、はっきり言ってしまおう。彼のそのキスは、わたしに感動を与えるものだった。冷たいわたしの唇に、暖かく豊かな唇が触れ、抱きしめられたのだ。誰もが必ず想像し、憧れる、少し強引なシチュエーション。

 軽く突き飛ばしたつもりだった。なのに、義人は、そのまま倒れてしまい動かない。いくらバツが悪いからって、そんな風に倒れ込むことないのに!
「もう、いい加減にしてよ、義人!」
 わたしは怒りながら彼のもとに行って、その身体を揺り動かした。彼は、わたしを見上げながら、ぼそりと呟いた。
「未来、俺にちょっとしたミライをくれない?」
「あんたねえ、何言ってんの?」
「俺さあ」
「何よ!?」
「俺さあ、セックスしたいんだよね……」
 コロス!

 この日のために用意しましたと言わんばかりの写真。その写真の中の義人は、まるで子供らしくない。彼は知っていたのだ。自分の死を…。まだ人生の始まらない青臭い時期に、自分の終わりと必死に戦って、もがいて、そして逝ってしまったのだ。

 空は、いつの間にか青く濃い雲に覆われ、勢いを増した雨は、ぼんやりとオレンジ色に灯る外灯の彩りすら失わせ、世界は白と黒の世界に沈む。黒に覆われた集団が列をなし、それはやがて点となる。誰もがその先に見据える明るく不確かな未来は、傘の下で小さく踊る。

 うっかり突っ込んだ水たまりは、世界を歪ませ、黒のハルタを不快に濡らす。傘の下の頬は濡れない。そしてわたしの心も濡れることはない。小さな欠片を張りあわせた義人のモンタージュは、その曖昧さゆえに、とても優しい。

 わたしを愛した男が死んだというのに、どうしてわたしは何も感じないのだろう。
彼が死ぬことを知っていたから?愛しているという言葉を与えるだけで、苦痛しか与えてくれなかったから?
 今は何も判らない。自分の気持ちも、義人が本当に欲したものも…。

 現実がわたしを未来へと導き、何の変わりもない毎日が始まる。でもきっと、わたしは探し続けるだろう。何も感じない自分の本質を。義人のことを。埃まみれのアルバムを見つめて……。
 鮮やかな十代の記憶がモノクロームに変わるまで。


2003.02.07



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