死刑という制度について、色々取りざたされるが、わたしはどちらかといえば賛成派である。
もちろん、冤罪の可能性、と言うことを考えれば、誰でも彼でも死刑に出来ないとは思うが、根本的に、眼には眼を、歯には歯を。
だから、命には命によって償うのが筋だと考えている。
それは多分に危険な思想だと思う。命を差しだしたところで、誰かが生き返るわけではなく、復讐の、見せしめのための処刑であれば、またそこに新たな犠牲となる命が存在し、それは終りを知らない。
しかしながら、事故や自己防衛などによる殺人ではなく、己の欲望を成就するためだけに殺人という大罪を犯した人間に、死刑という処罰を与えるのは当然ではないのか。
犯行当時、未成年で、今現在反省もしており今後更生させるに値するだと?
自分の汚れた性欲を満足させるがために、女性を辱め、犯人を識別できないであろう小さな命まで奪った人間を、どう更生さすというのだろう。その必要がどこにあるというのだろう。
レイプされて、殺された母親である彼女は、子供だけは助けてくれと、ひどいことをしないでくれ、殺さないでくれと懇願したに違いない。それなのに、その男は、その小さな望みさえ、ばっさり切り裂いたのだ。
思考能力が無いわけではあるまい。18と言えば立派な大人だ。少年と記されていたのが至極笑える。
身体だけが大人になり、心が未熟だった、と言うかもしれない。しかし、自分が今している行為の善悪がつかない歳ではない。責任能力は十分すぎるほど持ちあわせているのだ。それなのに、何故、僅かな反省の色を見せるだけで、こんな軽すぎる刑なのだろうか。
仲の良い夫婦の、これからの50年を、その彼らの愛情の賜であり、光の存在を、意図も簡単に奪い去って置きながら無期懲役。命の重さは、価値は同じと言うが、どの辺が同じというのか。
貴重なその命ふたつ奪った人間は、これからものうのうと生きていき、やがてその犯罪自体が風化すると、当たり前の普通の生活を送って行くというのに。
どうして、こうもまあ、犯罪者の人権ばかり守ろうとするのだろうか。
彼を弁護している人間にも問いたい。あなたは、自分の愛する人を、そのように殺されても、彼の弁護が出来るかと…。
感情論だけで話をしては埒が明かない。確かにそうだ。そう言われるに違いない。でも、感情というものがあるから、そこに何らかの意味があるのではないか。我々には。
最低限の、人らしい感情をも持ちあわせていない鬼畜に、感情論を投げ掛けるのが無意味なのかもしれない。でも、言わずにはいられない。
自分の行いを見つめ、踏みとどまるのが普通であり、だからこそ、そこに初めて権利が生まれる。責任の取れない行為をしておきながら、やれ反省したなどと、加害者の権利を、人権を掲げるなかれ。
眼には眼を 歯には歯を 命には命をもって償え。