叩かれて叩かれて這い上がってくる強者もいるでしょうが、わたしは叩かれるとすぐ凹みます。褒めて褒めて、おだててよしよしと伸ばして欲しいものです。
しかし、凹む人生が長かったので、時々褒められると、妙に勘ぐり疑ってしまうという性格の悪さを持ちあわせています。要は、その相手にもよると言うことです。
褒め言葉は宝物です。心で感じた素敵な言葉は、音に乗せて相手に伝えたほうがいいのです。そうすると、こんなわたしでもやる気が出るし、少しは社会に貢献してやろうなどと、大それた野望を持つこともできるのです。
いくらシャイで、口数が少ないと言っても、ここ一番の台詞は必要で重要で、その声に表情があれば言うこと無しです。
電話でのやり取りがどうもきついと言われ(勿論、普段もそうだと思われる)、自分を振り返ってみると、やはりきついのかもしれません。そんなきつい言い回しのわたしが、誰かを褒める言葉を発したとしても、信じて貰えないかもしれません。反省。どうも、ばっさばっさ、切り捨てるように吐き捨てるように音を綴っているようです。
わたしの声に表情があればいいのに。そう感じます。
わたしは、疑りやすいという暗い性格の持ち主ですが、いいな、素敵だなと感じたことはかなり素直に言葉にします。そうして貰うと嬉しいから。何にも勝る御褒美だから。
身近に、とても的確なと言うか、素敵なことを言ってくれるなあと感じる人が二人います。一人は、とほほな妹、えりざべす。
まあ、身内びいきの部分もありますが、奴も過酷で暗い道程を歩いてきた結果の腹黒さは持っていますが、根っこは善良だと思います。法も犯してないし。
そして、もう一人は元上司。この方は、見たまんまの物言いをしますが、とても繊細で色んな部分を見ています。侮れません。
普段はミソカスに言われますが、本当にそう思っている人とは付き合えない性格なのは知っているので、まあ、彼の照れ隠し的な物言いね、と思えるのです。
そんないつも悪態をついてくる元上司ですが、さらりと褒めます。いえ、わたしのことではなく、でもわたしの知っている人を。嫌みがなく、さらりと。今回の場合は妹ですが。
時々遊びに誘ってくれる元上司ですが、そんなときに限ってわたしがいなかったりするわけです。その誘いの電話に妹がでました。
「もしもし、まるまるですが」
「はい、いつもお世話になってます」
「至素音君いますか」
「すみません、今日は出かけているんです」
「何?また海外か?」
「いえ、日本です。明日には帰ります」
「そうか…。じゃあ、また連絡するわ」
「はい、お願いします。姉も喜びますから」
「はい、また来年、良いお年を」(これが口癖)
このやり取りを、後に元上司から聞いたのですが、さて、彼はどう妹を褒めたのでしょうか?
「こないだな、妹さんが電話に出てなあ」
「はい、聞いてますよ」
「わしが『また連絡するわ』って言ったらな」
「はい?」
「『はい、お願いします。姉も喜びます』ってな返し、してきてんわあ」
「えっ?だっていつも喜んでますもん!」
「何言ってるねん?いっつも相手してくれへんくせに!」
「わはははははーーーー」
「『姉も喜びます』ってそんな可愛い返し、してくれると思わんくて、嬉しかった、ああ、こんな電話の対応もあるねんなあってな!」
「…………」
ああ、そんなところまで、見ていてくれる人もいるんだなあ。気付いてくれる人もいるんだなあ。そういう暖かい褒め言葉ってあるんだなあと、しみじみしてしまったわたしです。
あれこれ考えずついて出た言葉が、以外にも彼を嬉しくさせて、その嬉しかったよ、の言葉が、わたしを暖かくさせた。きっと妹は、思った通りの言葉を綴っただけなのに。
だからわたしはとほほちゃんにこういうのです。
「とほほちゃんの電話の応対すごく感じ良いってよ!」と…。
奴は喜んでわたしの掌で跳ね回って、きっと美味しい食事を作ってくれるでしょう。お釈迦様の掌で遊ばされる孫悟空が如く。ふふふふふ。あはははは!おほほのほーーーー!
人は褒めて使わないといけません。ええ。