12月といえば、クリスマス。
カトリックでもないくせに、そんなお祭り騒ぎにはちゃっかり便乗してしまう能天気なわたしたち。でも暖かくて楽しげなその雰囲気は、わたしも好きだ。
光熱費がかかろうが、ご近所と競い合って家や庭をデコレーションする様や、自分の大切な人達にカードを書いたり、贈り物を選んでいる人を見つけると、こんなわたしの心にさえ、柔らかい気持ちが満ちてくるから。
そして12月。わたしにはもうひとつのイベント。もう嬉しくもない誕生日がある。
貰って一番嬉しいのはカード。これは本当だ。自分の誕生日を覚えていてくれて祝ってくれる相手がいると思うと、心が満たされる。例え、側にいなくても、その人からの愛情を感じることができる。手書きの、可愛いイラスト付きのカードや、わたしの好みを慎重に考えてくれたであろうそれらは、きらきら光りわたしの心の糧となる。
それらと一緒に、お花が届けられると嬉しさは倍増する。大好きなカサブランカやカラー。クリスマスに似合うグラリオサ。チョコレート色のシックな薔薇の花。普段わたしが飾らないタイプの青い花をアレンジした花束。
それらを選んでくれた友人のセンスや優しさを、花達から与えられる力強さと安らぎを感じずには入られない。
「花より実用的な物を貰うほうが嬉しくない?」
そう言う人もいるだろう。実用的で、自分の好みにぴたりと当てはまるとそれもすごく嬉しい。
しかし、相手の思いやりと自分の気持ちが全く一緒というのは難しい。欲しいものを予め訊いておくのは賢いやり方かもしれないが、サプライズ!という驚きはなくなってしまう。
それとその気持ちの値段が分かるのはちょっといただけない気がするのはわたしだけだろうか。
“こんな高いものくれるなんて、わたしって彼女(彼)に愛されているのね”そういう気持ちならかわいらしいが、“わたしはこんだけしたのに、あの人からは半額ほど?”そう考えてしまう人だっているのだ。
その時々でお財布の締め具合いや気持ちも変わるし、してあげたい気持ちは山ほどあっても、そうできない場合もある。気心知れた人から高価な物を貰った場合はまだいいが、そうでない場合、それは気持ちと財布のダブルの負担となる。
そういうことを考えると、やはり花束というのはとても素晴らしい贈り物だと思う。花粉アレルギーを持っている場合は別として、花が嫌いという人は少ない。一人の部屋に戻ると、花達が素敵な香りとともに待っていてくれる。家族の元とに戻ると、いつもより部屋が明るいのは気のせいではない。
贈り物とは、自己満足なものだ。でも、相手のことを思い、喜んでくれているであろうその笑顔を想像して選ぶもの。その気持ちこそが、本当の贈り物だ。
それを私の為に選んでくれてるとこ想像するだけでおなかいっぱい。素敵。
そう言ってくれた彼女の言葉こそ、わたしへの大いなる贈り物。
わたしもそう思えるような人間でありたいと願う…。