Home--varios---信仰深き小羊達は救われるか


 わたしは、宗教というものを持たないで生きている。
 海外でそう言うと、人でなしのように言われるので、建前上、キリスト教ということにしている。日本人なのに、なぜ仏教徒じゃないかといえば、キリスト教の絵図らの方が好きだから、という単純極まりない理由からだ。
 ただし、イエスほど罪深い男はいないと思っているが。

 それはさておき、常々書いていると思うが、わたしは、宗教というものに興味がない。もちろん、自分のうちにだけ、ひっそり明確にそれを抱いている人に対して何ら文句もないし、それで心健やかだというならば、羨ましい。

 しかし、宗教や強い思想、そういった観念は無言のうちに足下から忍び寄り、有無を言わさず覆いかかり、それは多々、薄っぺらな善意という形に変貌し、抗う術を持たないものには纏足となる。
 身動きできないように、きつくきつく縛られ、不思議な価値観ゆえに、それを外すことは罪だとさえ言われるのだから。

 今回、わたしがここで言っていることは、ある宗教に限定していることを先に述べておこう。
 色々噂を聞くが、わたし自身、その宗教に属する人間と付き合ったこともないし、それによって何か迷惑を被ったわけでもない。

 しかし、数少ない縁を切りたくない親族から、とても哀しい話を聞いたので、それについて書いてみようと思ったのだ。

 彼は、結婚を前提に付きあっている女性がいた。彼の実家にも何度も足を運び、彼の母親も、彼女の可愛さ、気立ての良さに好印象を持っていた。彼の兄弟にしてもそうであり、彼女を、姉として受け入れる準備はすでにできていたのだ。

 そして、半同棲のような暮らしを送っていた二人に子供ができた。
 結婚するつもりだった彼は、この機会に籍を入れてしまおうと彼女の実家に向かう。
 が、ここで、彼は、何もかも知っているつもりでいた彼女の、一番大きな秘密を知らなかったことで、人生に大きな悔いを残すことになる。

 そう、宗教である。彼女の属しているそれのために、二人は、いや、三人は別々の道を歩むこととなる。

 その場所で、彼は彼女の親族一同に取り囲まれて、入信を脅迫めいた強さで奨められた。彼女を愛している彼は、とても悩んだ。
 しかし、自分だけの問題ではないからと、ひとまずその場から去ったが、そこに属すことができないことは、火を見るより明らかであった。

 驚くなかれ。彼の父は、明確にそれについて、遺言書に記していたのだから。

 彼は彼女と、たくさんの時間をかけて話し合った。
 君はそこに属している風でもなかったし、そんな話も聞かなかった。自分は君の宗教に属することはできない。結婚してもこちらで暮らすことになるし、親族に多々会うわけではない。親が大切なのはもちろん判る。だから、その宗教を捨てろとは言わない。しかし、自分の入信は断ってくれないか?そこに属することはできないけれど、君を今まで通り愛している。

 彼女のことを、すでに娘のように思い接してきた彼の母親も、何度も説得したが、話は平行線でしかなかった。

 見る見るうちにお腹が大きくなった彼女は、出産のために実家へと戻り、その後は、もうとんでもない結果となった。

 入信するまで子供には合わせないし、籍も入れさせないと。

 彼と彼の母親は、何度も何度も通い、彼女を説得するも、彼女は、その纏足を緩めようとはしなかった。

 なんてことだ。
 愛する人と、その愛の結晶とを引き裂くようなそんな存在が、大切な教えというのだろうか?

 宗教の根がないわたしには、正気の沙汰とは思えない。

 子供さえ作れば、彼は入信するとの彼女の思惑だったのか、失いたくないがために言えなかったことなのか、わたしには判らない。
 ただ、本当に素晴らしいと信じる教えであれば、真っ先に言わなければならないはずだし、そうするはずである。そうできなかったのは、彼女に後ろめたさがあったからではないのか?

 どれだけ立派な大義を掲げようが、素晴らしい教えを説こうが、行いが伴わなければ、そんなものはただの糞だ。

 今、彼女の心が乾いていることを願い続けるわたしは、きっと、彼女のように救われる術を知らない。

 脅えるその種は自分自身にあり、その震えは他者により止められるものではない。だから、わたしに宗教は必要ない。救われる必要もなく、小羊のように脅えて震えることがないからだ。

 信じる者が救われるというなら、世界はどこまでも透明で平らであり、闇を見ることも、その終わりもないはずだ。


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