先日、ある番組を見てわたしもこんなことを書いた。
--でも、いくら愛があるっていっても、マイケルみたいな愛は嫌です。怖いです。いくらお金があっても、見たら見たもの全て買えるほどの経済力があっても、マイケルの顔は嫌。でも現金積まれたら許します。>何を?
人の心をあれこれ言えるほど自信も経験もありませんけど、あれは病んでるよね。病んでいるわたしに言われたくないだろうけど。--
その番組の反論が、マイケル側が提供したフイルムをもとに、「裏切られたマイケル」などという名前で放送されたわけだ。
実際おもしろおかしく書き立てて放送して数字が取れさえすればいいのである。彼の性的嗜好や整形の有無が、視聴者の知りたい部分であるのだとすれば、マスコミがやっきになり重箱の隅をつつくのも判る。だが、事実はどうなのか、わたしたちには何も判らない。
--大人になりたくない--
--骨格は整形でなく成長--
--子供からはパワーを貰っているだけ--
などなど、わたしには判らないことだらけ。
全ての生き物が成長を否定しないのに、成長したくないと言う。
骨格があれだけ変わり、そぎ落としたとしか思えない骨を成長などとぬかす。そんな進化がどこにあるのか?
肌を重ねることで安らぎや力を得ることは多々あるけれど、そこにあるのは純粋な愛情だけなのだろうか。うさんくささは否めない。
それらは事実なのか、否か、判らないが、嘘とも言い切れない。
彼らの中にしか、真実はないのだから、あれこれ詮索するのもばからしい。
でも、一方方向の番組の、ただ数字を稼ぐためのスキャンダラスな内容に導かれるままコントロールされるのは癪である。
芸能人のおもしろおかしな私生活レヴェルであれば、当人にとっては迷惑極まりないものだが、有名税と諦めてもらうしかない。が、そうでない場合、片道切符の垂れ流しの情報というものは、癪などと言ってられるものではない。
ロス疑惑。桶川ストーカー殺人。幼児虐待殺人。北朝鮮問題などなど。
検証もなしに好き勝手書きなぐられた言葉は、わたしたちを煽り、そして彼らが犯人かも、という曖昧な感情を決定的にする、刷り込みでありマインドコントロールである。
感情がある程度、露呈するしゃべり言葉と違い、抑揚というものはその羅列から受け取りにくいがため、受け方次第でどうにでも変化する文字列。犯罪者とされる人物達の、いかにもという表情の写真。そこに植え付けられる低俗で、悪趣味極まりないが面白い、数字を稼ぐに適した情報。
ロス疑惑の三浦氏。
あの事件当初、わたしは子供だったが、彼の顔を見て、うさんくさい人と思った。いやらしい油ぎった顔だと感じた。
幼児虐待により、子供を死なせたとした母親は、その容姿のきつさゆえ、整形をしたという。その行為により、もっと先にしなきゃいけないことがあるだろうと糾弾されるわけだが、彼女にしたら、顔の造りによっていかにも、と言われるのが耐えられずそういった行動をとったのだ。
やり過ぎであるが、判らなくはない。わたしも、作り上げられた虚像からそう思ったのは事実だ。あの顔ならやってるな。愛情ある母親の顔じゃないなと。
いかにも、といったものらは、対個人で得た情報や感情ではなく、全て刷り込みによるものと言って過言ではない。
先日の記者会見の三浦氏は、ずいぶんと穏やかと言うか、油の抜けた顔に見えた。彼が歳を取ったせいか、わたしが歳をとったせいなのか。
それとも、垂れ流しの情報を鵜呑みにせず、少ない脳みそで考えてみたせいなのか。判りはしないけれど、受け方というのは、常に変化する曖昧なものだ。
幼児虐待で整形した彼女も、今流行の、癒し系、なごみ系と言われる女性達の、グラビア用写真のように、優しく微笑んでいる姿ばかりがメディアに流されていたら、わたしたちはどのように思い、受け止めるだろうか。
わたしの足りない脳みそではこんなに的確に記すことができないので、ここやここをご覧になっていただきたい。そして考えて欲しい。
彼の言う通り、わたしたちは、まず全ての情報を疑うことから始めなければならない。
そして、ただ疑うだけに留まらず、しっかり考えて選び取らなければならない。事実を、可能な限り公平に。