性。「せい」と読むなかれ。「さが」である。
以前のわたしのサイトでは書かなかったようなテーマで行ってみるか。嘘である。そんな色っぽい艶っぽいテーマとは無縁の生き物。可哀相なわたくし。
さて、性である。
年末における、食料品の買いだし、と言っても、誰に食べさせるわけでもない。お節を作るはずもない。年始早々、スーパーも開いているし、コンビにだってある。
そんな時代背景、わたしの懐事情を考えると、たいそうな買い物などあるはずもなく、某スーパーをただうろうろしていたとき、どこのスーパーでもやっている試食コーナー、3セット1000円というハンバーグやらソーセージ。そこで見つけた、ハーブ入りウィンナー。爺さんの哀れな……。
あれは、初めての海外旅行、放浪の旅での出来事だ。
まだまだ若く、今思うと随分初々しかったあの頃、イタリアの田舎街での散策中にそれは起こった。
どこの街にもいるような、気の良いお爺さんが、片言の英語と、旅行者から聞きかじった拙い日本語で話しかけてきた。
「わたしは、日本人が好きだ。特に日本の女性の雰囲気のある面持ちが好きなんだ。あと五十年若ければ…」
などと楽しげに話しかけられ、カフェでお茶をご馳走になり、と言っても、イタリアのカフェである。一杯100円もしない。いや、もっと奢れと言っているわけではない。
その後、田舎道をあれこれ案内してくれた気の良いお爺さん。
真っ青の空。白い雲。終りを知らない緑の絨毯。少し冷たい風さえも心地の良い素敵な午後の時間。親日家の老人。異国に憧れ、羽根を伸ばしに来た雰囲気のある日本の女性。突っ込みは訊かない。
画に描いたような美しい風景だった。そう、だったのに…。
お爺さんは、何を思ったか、きょろきょろと辺りを伺いだし、まだ肌寒い4月の初めに、ご自身の分身をズボンからぺろんと出したかと思うと、嬉しそうに微笑ながらこうのたまった。
「触ってくれ、わしのを。触ってくれるだけでいいから」
画に描いたような風景画は、急に墨絵の様に色を失い、雨粒が頬を濡らす。雨ではなかった。恐ろしさに涙が出たのだ。
「いやーーーーーー」
それは、犯されるとか、暴力を受けるというような状況下での恐怖ではない。背は高かったが痩せていて、もう70を越えたような老人に襲われかけても、そこは噛みつくなり蹴飛ばすなりして逃げ切れただろう。多分。
齢を七十越えた爺さんに、まだそんな気持ちが湧いてくるというそれに恐怖したのだ。色ぼけもいいとこだ。
が、それを「男の性」と言うのか?
今のわたしならば、“はん、具が小さい!”とか、“そないもの、人目に晒すな!ぼけっ!”とか、そんなことも言えるのだが。
試食コーナーの白いハーブウィンナーをまじまじと眺めながら、そんな事を思い出しているわたしだった。横にいる、売り子のお姉さんが怪訝な眼で見るのも頷ける。
白く細長い爺さんの哀れなペニス。切り刻まれて、並んでいる。
もちろん、試食は忘れない。うまーっ!
色よりも食欲。それがわたしの「性」。