Home--varios---真の加害者は誰?


 あの不幸な事故で亡くなられた大勢の方々や、家族を、愛する人たちを失った人たちは、大変気の毒に思う。大きな痛みを伴う辛い日々を送られているだろうと想像できる。彼らの怒りや哀しみならば、仕方がない。彼らにはそうする権利があるのだから。

 しかし、記者と言う名のインタビュアーや、画面に映る当事者ではない良識人達には辟易する。
 わたしは、彼らが怖い。気持ち悪くさえ思う。そう感じる自分がおかしいのだろうか?

 自分の先輩の奥さんが事故で亡くなったという中年の男性は、あの場所でただただ頭を下げるしかないJR職員に、すごい勢いで汚い言葉を投げつけていた。
 会社がこんな不祥事を起しているのに居酒屋で飲み食いとはどういうこと? 会社のモラルは? と叫んでいた20代女性会社員は、これからは怖くて、1、2両目には乗れないですよーと締めくくる。
 何か違わないだろうか?

 今回の事故で、電車は安全なんだという摩訶不思議な神話は、そうでなく、愚かな人間の、わたしの思い込みにすぎないものだと知った。それを学ぶための犠牲はあまりにも大きい。

 わたしは、自分が良識人でないことを知っている。自分が体感したことでないと、共感することは難しく、それらもすぐ忘れてしまうできそこないだ。
 大きな哀しみが満ちているのは想像できる。でも、どれだけの人が本当に悲しんでいるのだろうか?

 わたしは、この事故を知ったとき、自分の近しい人たちの安否を気遣った。彼らが無事と知ると、自分の近しい人たちの、家族や愛する人たちがそれに巻き込まれていないか訊ねた。それが杞憂と知ると、良かった! と心に思い、そして、それを言葉にした。

 良かった!

 良かった?

 こんな未曾有の大惨事なのに、どこが良かったというのだろう。

 事故当初から、万が一置き石という可能性があれど、言ってはいけない言葉を早々に口にしたJR西日本。
 あの電車に乗りあわせていたにも関わらず、救助作業をすることなく出社した職員。
 事故を知りながらボーリング場に向かったたくさんの職員たち。
 議員まで異論を唱えることなく、嬉々として参加したことが想像に容易いゴルフ大会。
 利益優先とした社訓。人格を無視したペナルティーなどなど、会社の体質が疑われるのは仕方がない。彼らは、それが荊の上であれ、蒔いたものを刈り取っていくしか術はない。

 しかし、会社に連絡して出社するように言われた社員がそんなに悪いのだろうか?

 目の前に助けることの人がいるにも関わらず、それを無視して去るというのは非道なことかもしれない。しかし、自分の乗りあわせた車両の乗客は、無傷に近かったら? それほどの大惨事と思えなかったのかもしれない。本来、かもしれないで話を進めるのもどうかと思うが、もし、わたしだったら?
 憧れの人と初めてのデート。待ち合わせの時間に遅れていたら?
 自分が中心の、大きな企画。お前が来ないと何も進まない! と言われていたら? その仕事に、社運がかかっていたら? スタッフの給料がそこにのしかかっていたら?
 遅刻や欠勤は、査定に大きく反映すると、状況を理解できていない上司に言われたら? 嫁や子供、家のローン。今後の職を失う覚悟を持ってまで、この場で救助作業をすると言えるだろうか?

 わたしは、それが人のするべき正しきことだと、道徳や倫理を説く人たちから、きっと非難される行いをしてしまうだろう。

 真剣に、この会社に対して不安や怒りを持っているというのであれば、利用しなければ良いのである。しかし、人はそうしない。資本主義社会に生きている以上、わたしたちは、自分の利益を望むのだから。
 上の彼女も、もう1、2両目には乗れないですよー、ではなく、会社のモラルを疑い、この会社を義としないならば、1、2両目どころか、利用しなければ良いのだ。全ての人間が、そうすれば、この会社の体質は、迅速に改善されるか、もしくは、新しい会社として生き返るだろう。

 大きな会社の中にいて、どれだけ人間がその社員として自覚を持って働けるというのだろうか?
 小さな会社でしか働いたことのないわたしには判らない。経験値がないので、想像も難しい。
 上司に指示されたことを、自ら考え、ろ過して行動できる人間が、この日本にどれだけいるだろうか? 人と違うことは否定され、足並み揃え、出る杭は打たれるという、悪しき風土。
 自らの義を歩める人間は少ない。
 正しい意味での自己主張や、議論することに慣れていないわたしたちは、上からの指示をそのままするすると流してしまう。考えないほうが楽だから。指示されたことだけを行えば、何か問題が合っても、責任は転嫁できるから。それが罪だというならば、大半の人間は加害者である。

 当日、あまりにも迂闊にボーリング場に向かった人たちも、翌日軽率にゴルフ場に向かった人たちも、これだけ世論に叩かれれば、他人事ではなくなっているはずであり、遠くから届く、彼らには非難に聞こえるあたりまえの声には、聞きたくないのであれば、耳を塞げば良いだろう。
 しかし、これらの偉いさんと違い、日々働く職員は、世論と、まっすぐに対峙する立場上、大変なストレスの中で仕事をしていると思う。身内や、愛する人を亡くした人たちもいるかもしれない。
 そんな彼らに対して、暴力や、誹謗中傷するような、当事者ではない、良識を持っているはずであった輩が画面を賑わす。JR西日本という大きな加害者に対して、被害者である乗客は何をしても良いのだという、歪んだ感情。
 その歪んだ行為は、彼らの人生を、心を狂わすに値する理不尽なことだと、なぜ考えないのか? それを平気でできる人間が、どうして他者を非難できるだろう。

 どこでも、真面目に一生懸命働いている人たちはいる。そうでない人も。適切な行動をとれる人間も、不適切な行動をとってしまう人間もいる。
 人命と利益は天秤にかけたとき、利益に傾く企業は多い。人も、である。
 見えない安全という神話が崩れるまで、わたしたちも、快適さや利潤という名のエゴにより生まれている膿から、目を背けていただけではないか?

 わたしは、常に真面目に働いているわけではない。いや、不真面目すぎる社員と言える。会社を背負い、今、勤めている会社の社員として誇りを持ってもいない。不適切な行動で、まわりを不愉快にさせているだろうし、自分の肌や心が直接感じない部分では、良かった! と思える酷く愚かな人間だ。

 飛行機も、新幹線も、電車も、バスも、速くなることに、何も疑問を持たず、便利だと思っていた。慣れてくれば、もっと速く目的地に行けるようになれば良いとさえ思った。
 今回のような大惨事がおこるまで、そんなことを平気で思っていたわたしは、責められるべき人間であり、世論と直面し、働いている職員らを、責めることなどできはしない。

 何かおこったときにしか、考えようとせず、すぐに忘れてしまうわたしは、自分自身がそこに加担した一人であるということを、覚えておくべく、ここに残しておくことしかできない。

 この哀しい事故の真の加害者は、誰?


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