| あの不幸な事故で亡くなられた大勢の方々や、家族を、愛する人たちを失った人たちは、大変気の毒に思う。大きな痛みを伴う辛い日々を送られているだろうと想像できる。彼らの怒りや哀しみならば、仕方がない。彼らにはそうする権利があるのだから。 しかし、記者と言う名のインタビュアーや、画面に映る当事者ではない良識人達には辟易する。 自分の先輩の奥さんが事故で亡くなったという中年の男性は、あの場所でただただ頭を下げるしかないJR職員に、すごい勢いで汚い言葉を投げつけていた。 今回の事故で、電車は安全なんだという摩訶不思議な神話は、そうでなく、愚かな人間の、わたしの思い込みにすぎないものだと知った。それを学ぶための犠牲はあまりにも大きい。 わたしは、自分が良識人でないことを知っている。自分が体感したことでないと、共感することは難しく、それらもすぐ忘れてしまうできそこないだ。 わたしは、この事故を知ったとき、自分の近しい人たちの安否を気遣った。彼らが無事と知ると、自分の近しい人たちの、家族や愛する人たちがそれに巻き込まれていないか訊ねた。それが杞憂と知ると、良かった! と心に思い、そして、それを言葉にした。 良かった! 良かった? こんな未曾有の大惨事なのに、どこが良かったというのだろう。 事故当初から、万が一置き石という可能性があれど、言ってはいけない言葉を早々に口にしたJR西日本。 しかし、会社に連絡して出社するように言われた社員がそんなに悪いのだろうか? 目の前に助けることの人がいるにも関わらず、それを無視して去るというのは非道なことかもしれない。しかし、自分の乗りあわせた車両の乗客は、無傷に近かったら? それほどの大惨事と思えなかったのかもしれない。本来、かもしれないで話を進めるのもどうかと思うが、もし、わたしだったら? わたしは、それが人のするべき正しきことだと、道徳や倫理を説く人たちから、きっと非難される行いをしてしまうだろう。 真剣に、この会社に対して不安や怒りを持っているというのであれば、利用しなければ良いのである。しかし、人はそうしない。資本主義社会に生きている以上、わたしたちは、自分の利益を望むのだから。 大きな会社の中にいて、どれだけ人間がその社員として自覚を持って働けるというのだろうか? 当日、あまりにも迂闊にボーリング場に向かった人たちも、翌日軽率にゴルフ場に向かった人たちも、これだけ世論に叩かれれば、他人事ではなくなっているはずであり、遠くから届く、彼らには非難に聞こえるあたりまえの声には、聞きたくないのであれば、耳を塞げば良いだろう。 どこでも、真面目に一生懸命働いている人たちはいる。そうでない人も。適切な行動をとれる人間も、不適切な行動をとってしまう人間もいる。 わたしは、常に真面目に働いているわけではない。いや、不真面目すぎる社員と言える。会社を背負い、今、勤めている会社の社員として誇りを持ってもいない。不適切な行動で、まわりを不愉快にさせているだろうし、自分の肌や心が直接感じない部分では、良かった! と思える酷く愚かな人間だ。 飛行機も、新幹線も、電車も、バスも、速くなることに、何も疑問を持たず、便利だと思っていた。慣れてくれば、もっと速く目的地に行けるようになれば良いとさえ思った。 何かおこったときにしか、考えようとせず、すぐに忘れてしまうわたしは、自分自身がそこに加担した一人であるということを、覚えておくべく、ここに残しておくことしかできない。 この哀しい事故の真の加害者は、誰? |