嗜好品というのは、だいたいにしてお金のかかるものだ。
そう、本来なくても十分に生活できるのに、それがあると身体や心、あるいは、そのどちらとも満たす素晴らしい友人。
一概に嗜好品のと言ってもその種類は豊富で、かけようと思えばどこまでもコストをかけることが出来るがそれだけでなく、時間というとても貴重で、でもあまり意識していない存在もを、十分に必要とするワインこそが、もっとも贅沢な嗜好品ではないだろうか。
などと、言ってみても、アルコールをとても愛しているが、ワインなんて安くて美味ければそれでよし!と言うわたしである。
「わたしの血はワインで出来ているの」とか、「う〜ん、なんと表現すれば良いのでしょう。ドイツの森の中で出会った、傷ついた子鹿のその皮膚から染み出す血のように少し錆びっぽく、でもまだ若いそんな香り」とか、言えるだけの知識もなければ語彙もなく、1000円ほどのデイリーワインで満足しているぐらいなので、蘊蓄を語れるはずもなく…。
が、ちょっとだけ興味を持ちはじめた最も贅沢な嗜好品と思うワインについて話してみたいと思う。>何様?おれ様。
どんな高価なワインで、誰それさんが94点付けましたと言うような品を戴く機会があったとしても、自分の味覚にあわなければ、わたしには意味がない。
大好きなワインですら、気まずい人達と囲むその味は、苦く不味いものに変貌するという、気分に多分に左右されるわたしの舌では、とてもじゃないが、そんな贅沢な嗜好品とは付き合うことが出来ないと思うのだ。終り。終わらしてどうする?いや、まだ終わらないけど。
1本何万円もするような品の味が判るかと言われれば、多分判らないし、産地や品種が判るほどこれから飲み比べする気力、そして経済力があるのかと問われれば、ないと答える。じゃあ何が言いたいんだ、お前は?あ〜ん?
わたしの舌は、本人の存在そのもののように曖昧だ。
だけどもわたしは、ある葡萄酒が年を重ねて変わっていく様を少し見てみたいと思ったりしたのだ。
フレッシュさがずっと続くものや、コクが出て丸みを帯びたもの。10年20年と生き続けて艶が出てくるもの、渋味が出てくるもの。何事もなかったかのように変わらないもの。
まるで、人のように個性や癖があり、時間を重ねて、それらはどのように熟していくのだろうか。
ハズレ年に生まれ、外れた人生を送っているわたしではあるが、この同級生の葡萄酒は、今が飲み頃で、まだまだ変化が見受けられるモノらしい。
艶っぽくは無理そうだが、少しは丸く優しく熟していくことが出来るのか見届けてみたい。多少渋くなってもいい。でも、酸っぱくならないように、祈っている。このワインも、そしてわたしも。
で、これらと一緒に歳を重ねようとすれば、それなりの保管場所が必要な訳で、何本か置いてくれるバーは確保したが、毎年1本づつ楽しむ為の量を保管できる場所は未定。どなたか、わたしの安物のワインをセラーに置いてやっても良いぞ!と言う、親切な方、御連絡下さい。待ってます。
何が言いたかったんだ、お前は?あ〜ん?
わたしの葡萄酒と一緒に歳を重ねて見ませんか?
わたしの安物のワインをセラーに置いてやっても良いぞ!と言う、親切な方、御連絡下さい。待ってます。
はい、これを言いたかったのです。
あっ、駄目。預かって貰ったら生まれた年がばれてしまう…(笑)。