壊死状態の可哀相なわたしの脳みそをどうこねくりまわしても巧く説明の出来なかったあることを、とても的確な言葉で描いていた漫画の一コマがあった。
それは「品性と状況」と言うことであり、今回のテーマとして取り上げてみよう。
常々言っているので、賢明な(数少ない)このサイトの読者の皆さまはご存知であろう。わたしは、貧乏臭く見られるのを嫌っている。勿論、わたしだけでなく、みんなそうだろうとは思うが。
例えば、ご馳走してもらって当然などとは、みじんこほども思わないが、彼女の後輩を連れて食事に行ったときに、1円単位まで割ろうとするような男は撃たれて当然だと思う。なぜそんなにケチなのか?見栄を張れとは言わないが、もう少し何とかならないのか?
わたしなんか、状況が許せば、いつでも支払う側にまわりたいのに。気持ち良いし。まあ、生活があるので殆どそんな状況は来ないが…。
心積もりはあるってことよ、男だぜ!いや、男じゃないけど。
そして、永遠の浪漫であるマイ・ホーム。
わたしも欲しいが(無理は承知)そのために、その他の潤いと言えるもの全て、我慢を強いられたり否定されるのはご免である。現状況下のレベルが下がるのは許せるが、それら全て却下となれば生きている意味がない。器のために中身を潤すことが出来ないなんて、本末転倒だ。いや勿論、器も肝心だということは重々承知はしている。
また「"0"の数を増やす」ということだけが目的となった貯金。
これも、わたしなんかより、明らかにお金持ちではあるのだろうが、その涙ぐましい倹約ぶりには貧乏臭さは否めない。
「地球に優しく水を空気を大切に」と言うのはもちろん賢い節約である。わたしもそうありたい。
そして、もう十分勉強したので、そんな集いには参加しないが、飲みに行ったら行ったで、割り勘負けしないようにと、食べ残すほどオーダーしたり、立食パーティーでは、我先に、これでもかとお皿に料理を山盛りにする。そんな人、今どきいるの?と言うなかれ。これが結構いるのである。それも身近に。
一人暮らしで食費が厳しいという状況ならまだ判るのだが、これが親と同居で小銭持ちな人に見受けられるから、やはり品性の、感性の問題と思う。
そう、貧乏と言うのは、「状況」なのだ。そんな状況は隠してもしかたないし、はっきり貧乏という状況に陥っていると言ってしまうほうが清々しい。
しかし、貧乏臭いというのは、「品性」に関わることである。どれだけお金を持っていようが、全く支払おうとしない人もいるし、たかろうとする輩までいるのである。それは本人の質の問題であり、だからこそ嫌悪感を持ってしまうのである。
貧乏なのは「状況」だから仕方ないが、貧乏臭いのは「品性」の問題。
ずばり納得。わたしは、清貧で行くとしよう。